自己実現と社会貢献を志す人へ

先生&生徒のつぶやき

2021年09月

2021.09.28

【演繹(えんえき)的な考え方】

 執筆者:情報システム係 是澤龍一

 数学を担当している是澤と申します。皆さんは「数学的な考え方」というのをご存じでしょうか?

 ここでは色々な数学的な考え方についてご紹介させて頂ければと思います。

今回は「演繹(えんえき)的な考え方」です。すなわち、すでに正しいことが明らかになっている事柄(大前提)を基にして別の新しい事柄(小前提)が正しいことを証明する(結論を導く)考え方です。

ですので、いわゆる証明問題を解くにあたって必要になる考え方になります。また、哲学などで用いられる「三段論法」と同じですので、ご興味のある方はネット等で調べてみて下さいね。

最後にざっくりまとめると左記の通りです。

 

小前提 + 大前提 → 結論

 

今回のクイズコーナーではそれを用いた物を用意致しました。是非ご一考下さいませ。

 

大前提…2つの直線が交わる際に出来る4つの角のうち、向かい合う角はそれぞれ等しい。(対頂角の定理)

また、2本の平行な直線のどちらとも交わる直線がある時、ぞれぞれの交点で出来た4つの角のうち、同じ位置の角の大きさは等しい。(同位角の定理)

2021.09.22

利他的偉人伝①「チェ・ゲバラ~20世紀で最も完璧な人間~」

 執筆者:教務課長 藤原 彰将

皆さんは「チェ・ゲバラ」という人を知っていますか?

Tシャツのデザインやサッカーの応援旗にプリントされているのを見たことがある人もいると思います。

「見たことはあるけど、何をした人かは知らない。」

という人も多いのではないでしょうか。

 

今回はそんなチェ・ゲバラの紹介をしたいと思います。

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ゲバラは裕福な家庭に育ち、医者を目指して大学まで進学します。

そんなゲバラは20代で何度も中南米各国を巡る旅に出ます。

 

当時、中南米の国々ではアメリカの大企業や政治家が利益を吸い上げ、現地民は貧しい暮らしを強いられていました。ゲバラは旅の道中、不平等な社会構造を見ていく中で、次第に貧困に苦しむ人々に想いを巡らせていきます。

 

1955年、27歳の時、ゲバラはメキシコでキューバ人弁護士に出会います。

それが、キューバ政府打倒を掲げ反乱を起こすも一度失敗し、メキシコに亡命していたフィデル・カストロでした。

ゲバラとカストロは「革命」を合言葉に意気投合し、1956年に一隻のクルーザー「グランマ号」に乗り込み、キューバ政府に戦いを挑みました。

 

定員12名のクルーザーに82名の革命軍を乗せてキューバに向かった船でしたが、事前に待ち構えていた政府軍の攻撃を受け、革命軍の兵士はたちまち12名にまで減ってしまいます。

それでも、ゲバラとカストロは決して諦めることなく、戦い続けました。

すると革命軍に賛同するキューバ国民が一人、また一人と革命軍に加わり、その規模は数百名にまで膨れ上がっていきました。

圧倒的劣勢だった革命軍が、勢力を拡大できた理由は何だと思いますか?

彼らは、戦いの最中にあっても、「人として正しい生き方」を徹底的に実行していました。

怪我人は敵兵であっても治療し、物資調達の際は必ずお金を支払い、子供や若者に教育を施し、現地住民で病人がいる場合は無償で薬を提供したのです。

そのような革命軍の姿勢に、人々は次第に信頼を寄せ、革命を成功に導く大きな力になっていきました。

そして1959年、キューバ大統領バティスタが亡命をしたことで革命軍は戦いに勝利します。

革命に成功した後、カストロやゲバラを中心とする新政権が樹立し、政治が進められていきます。

並みの人間なら

「腐敗した政権を倒したんだから、ちょっとぐらい美味しい思いしてもいいだろう。」

と思うことでしょう。

しかし、彼らは違いました。

教育の無償化、医療の無料化、政府メンバーの給与削減などの政策を次々に行い、自らの損得など少しも顧みなかったのです。

それだけではなく、国立銀行総裁兼工業大臣にまでなったゲバラは、普段から積極的に国民と一緒になって農作業や建設作業に精を出し、汗と泥にまみれて働くことを好みました。

革命に成功し、英雄と呼ばれ、政府の要職にまで就いたゲバラでしたが、その地位もすぐに捨て、再び戦場に舞い戻ります。

しかし、最終的にボリビアでの戦闘中に、捕虜となり、銃で撃たれ最期を迎えます。

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このようなゲバラの生き様が「利他的な生き方」なのではないか思います。

生前、ゲバラは「これからの世界は、自分の利益だけに固執せず社会全体に奉仕する『新しい人間(オンブレ・ヌエボ)』が必要だ」と考えていたそうです。

まさにこの考えは、本校の目指す人間像とも繋がるものであるように感じてなりません。

2021.09.08

夢に向かってするべきこと

執筆者: 生徒指導課長 山下久夫

 自分の将来を考えると不安になる人は多いと思います。ではなぜ不安になるのでしょうか、考えたことはありますか。未来のことはいくら考えてもわかるものではないのです。それを、知りたい、分かりたいという自分の気持ちが先に立ち、分からないから不安になる。だからまた考える、分からないという悪のスパイラルに陥っているのではないでしょうか。

 私も高校生の時は、大学に進学して英語をマスターしたいという夢があり外国語大学へ進学しました。夢を持って大学に進学しましたが、4年生の時の教師になるために受験した教員採用試験が不合格、就職活動もしていなかったので卒業後どうやって生活をすればいいのか不安になりました。周りは就活をして企業の内定をとっていました。ほぼ私だけが何も決まっていない状況でした。これからどうやって生活費を稼ぐのか。不安で、考えても分かりませんでした。そこで、当時のクラブの顧問や先輩・友人に相談しました。しばらくして顧問から電話があり「府立の工業高校で英語の教員の空きがあるから非常勤講師として教えに行くか」と言われ、何としてでも教師になりたかった私は行くことを決めました。

 夢を実現するためにするべきことは、「やりたいことを書き出す」「ゴールを描く」「具体的な計画を立てる」「期限を決める」、あとは「出会う人すべてに感謝の気持ちを持つ」ことです。

 ここでは私の経験から、自分が出会う人すべてに感謝の気持ちを持つことで、何かが自分に力をつけてくださり自分をよい運命へと導いてもらってきたような気がします。ですから、何事にも感謝の気持ちを忘れずにいます。今、私がRITA学園高校で教えているのもそのようなことからだと思います。これからもずっと感謝の気持ちを持ち続けて生活していくつもりです。

 

2021.09.06

神様

 神様

執筆者:教頭 人見敏史

僕の人生に多大なる影響を与えた文化人を挙げろと言われれば、まさしく僕にとっての神様、BOB DYLAN(ボブ ディラン)』である。初めてBOB DYLANの歌を聴いたのは中学校2年生の時に聞いた「時代は変わる: The Times They Are a-Changinだった。きっかけは遠藤賢司がテレビか何かで紹介していたと思う。僕の年代にBOB DYLANを聴く奴なんていなかったが、僕はすっかりとハマってしまった。英語の歌詞の意味なんか分からなかったけど、スピーカーから流れるメロディとしわがれた声に電流が走るような衝撃を受けた。そこから彼について書かれた本や詩集を読み漁り、小遣いをためてCDを買い漁り、とにかくBOB DYLANに深く傾倒した。当時は今と違ってインターネットなんか無かったので、レコード・コレクターという本やCDデータという本が主な情報源だった。

BOBDYLANと同じ音を得るためにFenderテレキャスターやストラトキャスター、Martin D-28GibsonJ45J200といったギターの名機も手に入れた。

2001年、ついに僕は神様と会った。大阪フェステバルホールで開催されたコンサートだった。2曲目でThe Times They Are a-Changinを歌ってくれた。後にも先にも失神するくらい興奮したのはあの時だけだ。アンコールは「風に吹かれて:Blowin' in the Windだった。歌い終わった後、前から9列目の席だった僕はステージ前に駆け寄った。そして神様と確かに目が合ったのだ。

僕は相変わらずBOBDYLANを聴いている。あれから約30年が経った。1959年のデビュー以来、その長いキャリアを称えられ、アメリカ大統領自由勲章やピューリッツァ賞、ノーベル文学賞等を受賞した。が、齢80を超えても変わらず進化し続け、世に作品を発表し続けている。

最後に、僕が感動した彼の言葉を紹介する。

A man is a success if he gets up in the morning and gets to bad at night , and in between he does what he wants to do.(朝起きて夜寝るまでの間に、自分が本当にしたいことをしていれば、その人は成功者だ)」

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